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第2号平成15年10月2日

県議会の凄さ

只今、9月議会の真っ最中です。ところで、ここ数日の新聞観ていますか? ちなみに一昨日の地元紙の一面トップは渡辺譲議員の質問に対し県側が答えた記事でした「合併市町村への支援策」「農産物被害の実態」とどちらもとても重要な話題でした。
また、昨日の一面は「暴走族対策に条例制定」「中小企業再生支援協議会の今月スタート」と大変画期的な話題でこれは小桧山議員に対する県側の答弁でした。連日県内のトップニュースの発信元になっている「県議会」という所は思っていたよりも(失礼!)
重要な場所なんだな・と感動している所です。
私も「来るべき質問のチャンス」に向け猛充電中です。

 
第3号平成15年10月22日

命の尊厳・国の尊厳

イラク戦争に対し予想通り?わが国から沢山のお金を拠出する事になりました。せめて「国連決議」でもあれば・・せめて「大量破壊兵器」でも見つかれば・・そのどちらも無かったのですからあの戦争はただ単にアメリカの「弱いものいじめ」「兵器の在庫処理」「内政干渉」「人種差別・偏見」「無差別虐殺」・・・とにかくここ十数年にわたる3回の戦争はアメリカには大義が感じられません。「大量破壊兵器を持っているから」というデッチ上げで「大量破壊兵器を使って」大量無差別虐殺をしているのだから理解に苦しみます。
「アイツはナイフを持っているみたいだから殺人を犯す前に殺してしまおう!」と言って機関銃を使って殺してみたらアイツはナイフを持っていなかった・・そして「彼の遺族は俺のやり方で、日本のお金で面倒見ましょう!感謝してね!」みたいなもんです。 何の基準で「悪の枢軸」と呼ぶのか?自分は「核」を沢山持っているのに、他人が持つのは悪なのか?・・理解に苦しみます。
数十年前アメリカから「悪の枢軸」と呼ばれ内政干渉+経済封鎖をされ「大東亜共栄圏構想」を進めるしかなかった日本。そしてまんまと「攻撃の口実」を与えてしまい非戦闘員を大量虐殺されてしまった日本。アフガン、イラクと数十年前の日本が重なって感じるのは私だけでしょうか?
いくら強大な相手でも「是々非々」で臨める。そんな国になってはいけないのでしょうか?地球上の全ての有色人種が白人の奴隷化となっていた時代、唯一白人に真正面からものを言った我々の先祖、我々の祖父さんの時代、当時の日本人の姿を見て勇気付けられ、戦後、世界中の数百カ国が白人の植民地支配から独立を果たした事実。そんな先祖の時代の様な、自立した国になってはいけないのでしょうか?
今、我々が未来を託す国会議員を、目指す皆様が、選挙運動で地元廻りをしていると思います。国の尊厳を守れる、この国を背負って立てるリーダーの出現を願うものであります。

 
第4号平成15年12月8日

命の尊厳・国の尊厳 2

先月の29日、長野県上田市にある「戦没画学生慰霊美術館・無言館」を視察してきました。学徒出陣は美大生、文学系、理工系・・と言う風に軍需産業に無縁のジャンルの学生から実施されたと言う話です。よって、最初に動員されたのが「美大生」だった訳です。溢れる才能を持った若者達が「もし帰ってこれたら仕上げよう・・」と、生きて帰れる望みを込めて未完成のままの絵を残していきました。それらが未だに未完成のまま上田市にある「無言館」に展示してあるのです。その絵達は無言のまま彼らの無念さを伝えています。「戦争さえなかったら・・」彼らの想いが胸に突き刺さりました。
複雑な想いで目覚めた翌日の朝、上田市内のホテルのテレビから「イラクで日本人外交官2名死亡」のニュースが飛びこんできました。60年前と同じ過ちに今日本は突入しようとしています。年明けには夢も希望も才能もある若者達が決死の旅路に出ようとしている。同じ過ちが起き始めている。
「戦争に負けて外向に勝った」と表現した戦後の政治家がおりましたが、今回のイラク派遣に関係無く「外交上の戦死者」は年間一万人を数えています。エイズ、狂牛病、輸入作物、金融政策・・どれを取っても「国民を守る為」じゃなく「外向の相手先に合わせた為」に起きた事件では無いでしょうか?それらの関連で病気、経営難による自殺で年間一万人が無くなっていると言われています。彼らにも、夢も希望も才能もあったはずです。  外交上の都合によって、大義が不明確なまま国民を危険にさらす・・その様な事で「命の尊厳・国の尊厳」が守られるのでしょうか?
五十数年前の開戦の日にあたりそんな事を考えていました。

 
第5号平成15年12月22日

「自明の理の崩壊」

「自明の理」とは、議論するまでも無く明らかな事であり、説明を要しない誰もが認めることわりのことである。現在の社会はそれが崩れてしまったともいえる。
神戸の事件の時「何故人を殺してはいけないの?」と少年に問われた。キッチリと答えられる大人は少なかった。しかしこれは「自明の理」なのである「駄目なものはダメなんだ!」これで良い。人を殺さない、挨拶をしよう、こういう事は説明を要しない。「相手の立場に立ったら○○でしょう?」・・そんな説明をしても「僕は死にたいんだ」「僕は孤立していたい」と言われたらどうしようもない・・・。
言い換えれば道徳である。理屈で説明する前に一匹の哺乳類として

 
第6号平成16年1月31日

海外行政調査

明日からスペイン・イタリア・ギリシアに海外行政調査に出掛けます。
埼玉県議会の海外行政調査でとんでもない事が報道され、調査そのもののあり方が問われている最中の出発であります。
調査の内容は主に「農業行政」(欧は食糧自給率の優等生です。日本の課題ですね。)
「福祉行政」(欧は今後の日本の福祉の方向の見本です。)
「都市整備行政」(何百年スパンの都市計画を調査。日本は目先対応です。)
「環境行政」(欧全体の産廃処理場は日本一国よりも少ないのです。) というところです。欧に比べ日本の立ち遅れている所をキッチリと調査してまいります。一日平均3箇所程度の調査を行います。観光は勿論ありません。(8日の日曜日には向こうの役所が休みなので都市整備状況を役所の説明無しで調査しますが・・・)
とにかく「かかる経費以上」の成果が出る様頑張って行ってきます。
帰国後、調査報告書を作成します。又、活動状況はHPの「活動日記」にて毎日報告致します。

 
第7号平成16年3月26日

「役所は生き物?」

就任以来一年間、年度内の一通りの議会を経験したわけですが、本庁に3千人、出先を入れて8千人、先生・警察迄入れたら3万人と言われるこの組織は「トップからはとてもリード仕切れない」という雰囲気を感じました。
強烈な縦割りで何とか組織の形はなしていますが、FF制度が目指すような「横のつながり」などは動き出す余裕がない・・そんな雰囲気を感じています。
それならどういう風に機能しているの?・・それぞれの部署のそれぞれのスタッフがそれぞれに独自の考えを持った生き物のように動いている・・そんな気なしてならなりません。 私が民間上がりの感覚だからなのか?いや、いわゆる「役所病」と初めて対面した私が戸惑っているのだと思います。 県民の「割り勘」で生活している、職員も含む我々は「頑張らなければ淘汰される」という仕組みの中で生きなければなりません。
「民者国之本・吏者民之雇」(人民が国の素であり公務員は人民に雇われているのだよ)・・私が最近手紙に好んで書いている、河井継之助の言葉です。 役所の給与システムの改革に関し強烈な興味を持ち続けているこの頃です。

 
第8号平成16年6月21日

心身共の健康

平均寿命の世界一を更新し続けている我が国ですが「近未来、平均寿命は短くなっていく」という説があります。原因は「食品添加物・残留農薬等による食物的な不健康」が上げられる。と言われています。成る程、昨今は戦争による戦死でもないのに子供のお葬式に親が立ち会う・・という場面も目立ってきたように思います。若くしての生活習慣病死は確実に増えてきています。そんな中、昨日私の5歳年下のJCの仲間が心筋梗塞の為亡くなりました。今年に入ってから後輩の心筋梗塞死は二人目です。どちらも地域のリーダーとして、良き夫として、優れた企業人として将来が楽しみな人一倍の頑張り屋さんでした。「なんであんなイイヤツが・・」と悔やみ切れない心境の中「生かされている事」の有難さにあらためて感じ入っております。彼らのご冥福を祈ると共に皆々様の「心身共の健康」をお祈りいたします。

 
第9号平成16年7月21日

「水害に想う・・」

先週、新潟県三条市に水害ボランティアセンター立上げのお手伝いに行ってきました。あちらも相当な被災を受けていまして気の毒な程でした。 しかし三条市内を地図上で観察してみると床上浸水を受けた数千戸の地域は川に比べて土地が低い・・床上浸水を受けなかった残りの地域は川に対し高台に位置していました。被災した地域はその昔水田だったのだろう・・たまに来る洪水によって肥沃な農地として合理的に機能していたのだろう・・・容易に想像出来ます。それなのに人間はそこに住宅を建ててしまい、数年か数十年に一度被災し自然災害をうらみ続ける・・避難勧告が早い遅いの議論じゃなくて、都市計画において長期的な展望が甘かったのだと言う意味で「公」の責任を感じます。
数千年前の中国では散々治水事業を行った結果「川と喧嘩しても勝てない。川沿いは農地、住むのは高台にしよう!」という結論に達したと聞いたことがあります。自然と闘うのではなくて自然とも気象とも共存する・・そんな知恵を活かした「まちづくり」を意識せねばならないと感じております・・

 
第10号平成16年9月21日

「挨拶」     

ここの所、運動会・敬老会等への出席が続き実感した事があります。 私は大概、祝辞等の最初に「皆様改めましておはようございます!」とか言います。青年会議所時代からの習慣で「おはようございます!」と返ってきて当たり前という感覚でおります。
幼稚園も小学校も嬉しいほど元気に「おはようございます!」と挨拶が返ってきます。ところが相手の年齢が上がるにつれて反応が・・ぼそぼそ・・しまいにはシーン・・子供の頃に出来ていた事が大人になるにしたがって出来なくなるんですね・・・ しかし私は批判家でも評論家でもない・・今日もめげずに元気に挨拶を続けてまいります。

 
第11号平成16年10月30日

「教育の根本」

母校である東村立東中学校の文化祭にて生徒の椅子に座る態度、身嗜みに付いて「近頃の若い者は・」的実感を感じ「やはりこの辺が教育の課題だな、人格の完成・道徳教育が大切だな・・」と考えている矢先、来賓席のはじの方でステージでの挨拶の最中、発表の最中にも関わらず「止まらない雑談」が・・来賓の中の数名がいつまでも聞こえる声で無駄話しを続けています。
「中学生の道徳レベルはその地域の大人のレベルなんだ」と確信しました。教育現場を云々言う前に地域の大人たちが、ましてや「来賓」として呼んで頂く様な人達が襟を正さなければ、「良い見本」を見せなくては教育などは始められない・・・実感しました。 「公の人間の責任の重さ」「子供の見本としての大人の自覚」について、25年振りに訪れた母校で、再教育を受けた私でした。

 
第12号平成16年12月10日

長く建設現場で働いていた関係上ネクタイに縁が薄かった私は結婚式に呼ばれても締め方が分からず困っていたものでした。それがこの2年、朝起きると自然にネクタイを結び、村普請等の作業時も思わずネクタイ姿で出掛けてしまう程です。
現在所有している25本のネクタイは「これを締めて県庁に行け!」「頑張れよ!」と皆様から頂いたものです。毎朝「今日は○さんのネクタイをしていこう!」と初心に返ると共に激励を下さった人の顔を思い出します。
あるイタリアレストランの社長が言っていました「ネクタイはファッション。季節、天気、流行毎に変えるもの、消耗品なのだ」・・私はどうしてもそうは思えない。 先日妻に、先輩から頂いたネクタイを修理してもらった。擦り切れてしまった先端の穴を縫っもらったのです。
ファッションには程遠い田舎者かも知れないが、12月県議会中日の今日も又、誰かの想いが深くこもったネクタイを締めて議員活動に邁進しております。

 
13号平成17年2月9日

伊勢神宮正式参拝

「参拝中には何を考えて居れば良いのでしょうか?」2礼2拍手1礼の最中の心持について伊勢神宮の宮司に聞いてみた。「感謝が基本ですが何かのお願いをしても良いですしご自由にどうぞ」という事だった。
そういえば今年の正月、四十二の厄払いで順番を待っている時間に一般参拝のお客さんをそれとなしに見ていたら「2礼2拍手1礼」をする人は1人も居なく、皆様全てが合掌でした。あれでは神道じゃなく仏教です。多神教文化の日本では「お願い=合掌」なのだろうか?
唯物的に言えば神にお願いしても物理的な恩恵は期待出来ない。しかし神社・礼式・神の営みという文化を伝承しその歴史と自分に対する加護に感謝するという習慣そのものが「願いが叶う」という心の状態ではないのかと思う。
初めての「正式参拝」で感じました。数千年続いている長い日本文化の伝承の中のほんの100年だけでも自分を存在させて貰えている先祖を敬い、深い文化を子孫に伝承したい。それが今生きている私達の役割であり、数千年の時を越えて感謝の心を教え続けて下さっている遥かなる先祖の皆様への感謝を意識した伊勢の旅でした。

外交問題に思う イラクでも牛肉でも靖国問題でもとにかく諸外国の言う事を聞かねばならない世の中の仕組みに疑問を持っています。とても独立しているとはいえない現在の日本。 その昔小栗上野介が松本全権が世界から克目される外交手腕を発揮した。アジアあふりか諸国でアングロサクソン人の植民地にならないで居たのは偶然ではない。日本人には精神の強さがあったのです。
しかし尖閣諸島・竹島・北方領土等の諸問題・・いつの間にか自国を侵されているのに、日本は何をしているのだろうか?情けない話である。
1人で参加した出張セミナーが終わった朝、相部屋になった見知らぬ方は「冷蔵庫の物は私が飲みましたので私が払いますから!」といってフロントに向かって行った。もしかしたら日本の外交だったら「自分が飲んだ覚えもないビール代」を払わされるのだろう。部屋代さえも払わされるのかも知れない。「私は飲んでないので払いません」「自分の部屋代は自分で払って下さい!」そんな当たり前の事をはっきり言える。日本がそんな当たり前の事を言える外交が出来る様夢見る。

 
14号平成17年4月26日

「会派の移動」

昨日、会派の移動があり私は「無所属」の代表を辞め「自民党県議団」の一員となりました。一人会派から最大会派へ・という好条件を充分に活かして、要望・提案・主張を続けて行きたいと思います。
昔私が東村から白河青年会議所に入会する時に仲間から「東村を捨てるのか?」「あんなボンボン集団に入るのか?」と色々なご心配を頂きました。しかし、青年会議所のセミナーで人前で話す事を覚え、公共心を学び、地域活性化運動が趣味となり、政治の大切さに気付き今に至っているのも真実です。自民党に限らず政党にはそれぞれの改善点も伸ばす点もあるのが現状であると思いますが、批判ばかりをしているよりも自らがその集団に飛び込んで、当事者として不易流行を実践していく方が前向きな行動であるとも考えております。
何の政党にも属さない私に期待を頂いていた皆様から「残念だ」との話も頂いておりますが、何の会派に入りようとも、今まで通りに県民の視点で県民の為に働く議員であるという事には変わりはありませんのでご安心を頂きたいと思います。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。


15号平成17年10月2日

「動物愛護」

見知らぬ県民さんから葉書が届きました。「飼い主に捨てられたペットが連日薬殺されている。口から泡を出し痙攣しながら絶命していく・・・ペットを捨てないで欲しい、飼えないなら貰い手を捜して欲しい、薬殺所を公開して欲しい。そういう運動を起こして下さい。という内容でした。取敢えずは差出人の選挙区の県議さんに直接の意見聴き取りを依頼しました。
生き物を殺すのは可愛そうですよね。しかし一方で殺した生き物を食べ続ける我々も居る。「食べられる為に生まれてきた家畜とペットは違う!」とは言わないで欲しい。どちらも大切な命です。又、本来愛玩しなければならない家族を置いてきぼりにしてペットを溺愛してしまっている現実も感じる。私の知っている限りではペットを家族の様に溺愛している方には本当の家族間がしっくり行っていない方もある様に見受けられます。人間間がうまく行かないのでペットに拠り所を見つけるのかも知れませんね。しかし「第一は人間間」という事をもう一度意識し直して欲しいのです。
私の家にはペットが居ません。30年位前に2匹居た犬がなぜか毒物死し、ちょうど犬は繋がなければならないという決まりになった事もあり「亡くなった犬の思い出」と「繋ぐなんて可愛そう」という想いからそれ以来ペットは不在です。動物が嫌いなのではなく本当に共生したいのなら今の決まりの中では無理でありかえって可愛そうだ。という想いなのです。
人間虐待とペット溺愛が同時に進行している様な気がしてならない昨今ですが、本来愛さねばならない「人間」が目の前に居るのだ。という事にもう一度気付いて欲しいとあらためて願うことが出来た、見知らぬ方からの一枚の葉書でした。


16号平成18年1月31日

「草の根保守主義」

八百万の神を感じる事が出来る我々日本人は一木一草から神を見出し大自然からの恵みを尊崇して来ました。そしてそういう営みの中から思い遣りの心、勿体無いという心、高潔なる道徳心等々他の民族には有り得ない品格が育ったのだと思います。
ところが昨今、道徳とは程遠い信じられぬ事件が頻発しています。これは日本人が我が民族の高潔な伝統を忘れ、拝金主義、刹那主義を世の中に横行させてしまった結果と断言できます。
おかしな国を元に戻す為に、子供達にまともな仕組みを残す為に、私は、変えてはいけなかった日本人の伝統的な精神性を呼び戻し、自分さえ良ければ良いという価値観が間違っているのだと言う事を伝え、かつて駐日仏大使が「地球上のあらゆる民族が滅んでも日本民族だけは残したい」と評価した、そんな本来の日本人に戻れる様、自分から近所から地域から草の根的に進めて行きたい、それが私の「草の根保守主義」です。旧暦の正月3日である本日私にとっての一年の計です。


17号平成18年2月28日

「合併に思う」

白河市・表郷村・大信村・東村の4つの市村が合併し新しい白河市が誕生した式典が開催された。西白河郡8市町村の合併の可能性を協議する合併協議会の設置を求める住民発議運動を夢中で行った5年前が思い出される。決定するまでは合併の是非についての賛否が分れ混沌とした状況が続いたものだ。
式典の席上、多数の合併功労者が表彰されたがその中には最後まで合併に反対だった方も含まれているのには複雑な心境にならざるを得ない。
方や住民発議運動の代表を務めた若者は式典を欠席した。スポ少の役員をしておりスケジュールがダブったとの事だが、発議運動の最中、自宅倉庫が火事になっても、家族に不幸が起きても、公の仕事を優先させ、家に帰らなかった男が、今はもう既に広域合併を超越し、地域の子供の教育という新しいステージに熱意を込め始めている。
常に移り変わる時代の先頭を引っ張る者、自らの損得じゃなく地域の未来を最優先に考える事が出来る者、そんな人物が何人いるか?それが地域の底力であり可能性であるのだと思う。式典の最中、ステージ上から観客席を見ると、そんな頼もしい中間達の顔がいくつも見えた。我々の地域の未来は明るい。人材の充実をベースとした未知の可能性が秘められている。


18号平成18年6月22日

「新幹線完全禁煙に思う」

3両目だけで吸えるという分煙状態だった新幹線が完全禁煙になるそうですね。県庁舎内でも灰皿のある場所はかなり減ってきまして現在では2箇所のみとなりました。吸わない人にとっての環境が良くなり愛煙家にとって暮らし難い世の中へ移行しています。一種のブームなのでしょうが私はチョッと極端すぎるのでは?と疑問を感じています。受動喫煙が問題なのでしょうが周りへの迷惑で考えたら、整髪料・香水・体臭・ヘッドホンからの漏れ音・ファッション等々紫煙に類する物は他にもある。仕舞には「ポマードをつけたお客様は3両目に乗って下さい・・」「外国人は何両目です・」という様な事にもなりかねない。事務仕事で言えばPCワークが一段落しプリントアウトしている内にチョッと一服・・間違いが無いか一通り確認・・みたいな「仕事のリズム」ってありますでしょう?それを「あっヤニが切れた」という度に喫煙所まで移動しタイムカードも押さずにヤニを補給する・・と言う方がどうも不自然に思えてならない。「障害がある人もない人も共に快適に暮らせるノーマライゼーション」を推進する我が県として「煙草中毒の人が暮らし難いシステム」というのはどうなのか?嫌煙家の権利に重きを置く発想は行き過ぎると差別の卵になりはしないだろうか?
煙草の煙も習慣の違いも多少の価値観の違いも吸収し合える様な懐の深さ、ハンドルの遊びがあっても宜しいのではないだろうか?
異なった価値観を共有し合える心の余裕が世知辛い今の社会に必要なのではないだろうか?


20号平成19年5月8日

「貧富の概念」

格差社会の拡がりが心配されている。実際数百万円の家賃の部屋に住む者がいる反面、私の様に多額の負債を抱え不安な日々を送っている者がいるのも現実であるし、私の周りの人たちはそのほとんどが格差で言うと下流の属すると自覚しているだろう。
しかしここで愚痴るのは止めにしてひとつ冷静に考えてみましょう。
下流を意識しているにも関わらず、多くの人達は新車に乗り、ペットを飼い、朝晩はくつろぎ、休日は楽しみ、美食により不健康になっている。諸外国の現状や我々の父母の時代には、朝仕事と夜割りが当然で休日などは年に数日しかなかった訳ですし、時間の縦軸で考えると我々は決して下流ではないし、人類全体で相対的に考えると我々は殿様級の暮らし振りであると思う。
要は生活レベルの設定である。収入の多少に関わらず収入に見合った暮らしをしていれば「貧乏感」は起きないはず、収入以上の暮らしをしようとするところに不満が起きる。最も幸福感が手に入る家族の年収は400万円だという学者もいる・・
お金など無くても笑顔だけは絶えなかった、そんな古き良き時代を懐かしむ様に、生活の為の固定費を一寸だけ下げてみませんか?
近所で上映された「フラガール」を観てそんな事を考えました。


21号

「生き様、死に様」

自宅を出る時に車に入り込んだと思われるハエが、県庁の駐車場で外に飛んで行った。今日からは彼にとっては思いがけずの新天地で生きて行く事になるのだろう。思えば4年前、思いがけずの新天地に飛び出した私の様だ。人もハエも人生なんて分らないものだ。
盤石の支持基盤を持つとと言われた成井市長が急逝された。難産を克服しての4市村合併を成し遂げ、これからと言う矢先の54歳であった。政治家として最も脂がのった最盛期での戦死でもあった。人生なんて分らないものだ。
一寸先がどうせ闇ならば堂々と歩きたいものだ。西郷さんの詩にある「丈夫玉砕すとも瓦全を愧ず」を思い出す。男たる者、玉の如く砕け散ることはあっても、瓦の如くその身を全うするのを恥ずべきである・・全くその通りだと思う。玉の如く砕け散った成井さんは、死んでまでそれを教えようとしたのかも知れない・・そんな想いを伝承して生きて行きたい。合掌・・


22号平成19年11月9日

「公務員の意識改革」

平成18年度の決算審査の為、この三日間浜通りの県の機関を視て歩きました。県立病院の診療費・自動車税・福祉施設入所費・県営住宅家賃等に未収金が目立ちます。世間では給食費未納が話題となっていますが、未納問題はあらゆる公共の料金に蔓延しているのです。
生活者の見方を標榜する議員氏の中には「払えないほど生活が困窮している社会が悪い」という切り口で事を論ずる人も居ますが、私はそれでは「ゴネ得を助長し正直者がバカを見る社会」になってしまうと心配する側に居ます。
県職員が運営する様々な組織には種々の課題がありますが、職員の誰からも「自分がナントカする!」という眼光が感じられない。「それなりにやっていればそのうちに転勤になるだろう・」と考えているのかも知れない。
そんな中「ならぬものはならぬ」の精神で生徒指導を行っている小高工業高校の授業料の延滞率は極めて少なかった。掃き溜めに鶴を見たと言ったら失礼だろうか?
県民の公共心を育て産業を育成しその成果を税金で受け取り、更なる再教育、再支援に繋げる。という循環の意識を教師・警察を含めて県職員は皆が持たなければならないのです。
県民の振興は県職員の公共意識を向上させる事が第一歩だと痛感した三日間の旅でした。


23号平成19年12月21日

「ガソリン税暫定税率」

ニュース等でガソリン税の暫定税率を廃止する。いや堅持する。と言う話題を聞くと思いますが役所特有の表現な為どれ位の国民が内容を理解しているか不安です。
「暫定税率を廃止するとガソリンが24円安くなります」と言ったら皆が賛成しますし、そう主張している政治家もいます。しかし24円の税収が減った分は地方の道府県市町村へ回るお金が減るのだという事をどれ位の人がご存じでしょうか?・ザラッと言うと県で約100億、市で数億という規模で道路改良、維持、歩道等の整備費が減ります。税収効率が悪く自己財源に乏しい地方自治体は壊滅に向かいます。
しかしガソリン高騰の環境の中で「ガソリンが安くなれば嬉しい」というイメージが先走りしている気がしてならない。勿論税金は安くするべきですが時と場合と環境とタイミングがあります。週明けから近隣市町村の首長さん達に状況説明に回ります。都市と地方の格差を広げない為に地方の声を国に届けたい!


24号平成19年大晦日

「二元代表制の崩壊」

矢祭町議会で議員報酬が会議出席一日あたり3万円になるそうですね。議員は年間で約90万の収入が想定され現在のおよそ4分の1、町は支出が減って財政改革が一歩前進・・と言いますが一寸待って下さいよ!
自分が議員だから言うわけではありませんがこれでは議員が育たない。我々議員は朝起きたら寝るまで×365日議員なわけで、会議出席の時間だけが議員の仕事ではないのですから。
それに出日当の90万では生活できないから「本業」を持つしかないので「議員のスペシャリスト具合」が低下し首長・職員と釣り合いも取れず対抗もできないし、勤めるにしても会議の度に休む社員では雇い主の方も辛かろう・・余程の金持ちかご隠居さんしか議員になれないと言うのもおかしかろう・・
二元代表制をとる我が国の、選挙で選ばれた首長が専従の職員をスタッフとして自治体経営を行い、これまた選挙で選ばれた議員が自治体経営のチェック・提案・承認等を行う。と言う仕組みを考えれば議員側は専従で仕事をしている首長・職員と同レベルの見識を持っていないと仕事が出来ないのです。
矢祭町議会さんは独自の判断でありそれに対しどうこうではないですが、一般論としてこういう動きは自治体内の「官僚支配化」を強め、住民の声を行政に届きにくい形を作るという恐れを感じます。


25号平成20年成人の日

「道理と自由」

福岡の飲酒運転による子供3人死亡事故の判決が懲役7年と出た事について怒りの声を多く聞きます。裁判の判決は基本的には正しいのだと思います。しかし、愛媛の玉串料訴訟の判決とか、法的にも道義的にも理に反すると思われる裁判員制度なるものが実施されようとしていたり、裁判に関わる皆様の考えが全て正しいのかと言えばそうでもないのだと思います。
それじゃ何が正しいのでしょうか?・・それは「道理」なのだと思います。欧米でも大陸でもない、日本民族として数千年継続してきた価値観なのだと思います。それに照らしてみると「懲役7年」は軽いと言う怒りの声なのです。
舶来に憧れる気持ちも分かるし国際化しなければならない現実も分かります。権利も自由も確保せねばならない事も分かります。しかしその辺に世の中を乱す現況を感じてならないのです。我々は自分のDNAに組み込まれている我々の価値観「物事の道理」に則って世間を眺め判断せねばならないのです。


26号平成20年1月29日

「イメージ戦略と世論」

オール電化のコマーシャルキャラが太ったソプラノ歌手から鈴木杏樹に変わってから売り上げが激増したそうです。私はオール電化に関しては「電気への依存度を上げる方向は文明として後退だ」と否定的に観ていましたが鈴木杏樹なら「まあ良いかな」と変わりました。
第二電電の設立により携帯電話環境が革命的に庶民的になった事を評価し恩を感じて第二電電創業者の関連会社AUの携帯電話を持ち続けている私ですが昨今ソフトバンクが気になっています。上戸彩が「良いよ!」って言うんなら「良いかもね!」みたいな変化です。
また私が戦後最大の悪法と観ている「裁判員制度」に関しても数日前新聞の全面広告に上戸彩が載った・・これは危険であります。裁判員制度を評価してしまう恐れがある・・心配であります。
私は女性タレントの言葉で心が揺れ過ぎる嫌いはありますが「世論」ってある意味そういうものだと思いますので、マスコミ・世間話に接する際には「世論の方向」と「本来あるべき姿」というものをカツモクして行かねばならないですね。大阪の新知事も注目ですね。


27号平成20年2月14日

「金欲からの脱却」

世界の三大悪を「私欲優先の政治家」「お金」「真実を曲げるマスコミ」と言う人が居る。鋭い視点である。その三大悪を一言で言えばやはり「お金」だろう。殺人・戦争・各種利権等々世の中の悪は大概お金が根っこです。サブプライムローンなるものが世界の経済を混乱させている。アメリカの金融機関でざっと4兆円の損失が出たという。我が国でも9つの金融機関でざっと5千億円を失ったと言う。大手は勿論田舎の信金までもがマネーゲームに参加して損失を被った。堀江モン、村上氏の仕事と同じくお金が主役になった経済活動の成れの果てなんだと思う。人類はこの「お金に支配される体制」からサッサと逃げ出さなければならない。昨今の世界は「金で買えないものは無い!」とうそぶくエリート達にかき回されているのです。それを「金よりも大切なものがある!」とはねつける心意気と文化を持っているのは日本民族しか居ないと思う。頑張れ日本人!より良い仕組みを未来の残そう!


28号



私には直接には関係は無いのだが今年もホワイトデーなるものがやってきた。考えてみればバレンタインデーに好きな人にチョコをあげるのという習慣は日本の菓子会社が販売促進に考案したものなのだそうだ。年間のチョコ売り上げの相当数をこの時期に売り上げるとか・・さすがである。更に義理チョコで数倍に、最近は同性に送る友チョコ、更には自分に送るご褒美チョコ・・彼らの販売に関する執念は半端ではない。逆に言えばもしこれらの習慣を考案していなかったとするチョコの市場を考えると空恐ろしい・・翻って昨今の日本経済の閉塞感はいつまで続くのだろうか・・彼らのガッツを見習おうではないか。


29号平成20年3月22日

「仲間意識」

モンゴル出身の両横綱が二敗で並んだ。外国人力士花盛りの昨今、日本人力士がじれったくてウズウズしていて、彼らの全勝続きは耐えられなかったのだ。そういえば少年時代、強すぎる北の海が憎らしくて輪島を応援したものだ。日本人は根本的に半官贔屓なのかも知れない。
そんな折、蒙古斑はモンゴル・日本・イヌイット・インディアン等にしか出ないと誰に聞いた。モンゴルも仲間じゃないですか!急に朝青龍が愛おしくなった。日本人は元々内弁慶なのかも知れない。


30号平成20年4月5日

「戦略的思考」

行き当たりばったりの対応が目立つ最近の中央政界ですがとにかく日本民族は戦略的思考が苦手ですね。
先の戦争だって米は「日本本土の軍需工場を破壊し勝利する→爆撃機の飛行場を確保→航続距離を逆算した島々を占領していく」という戦略の基に重要な島を占領する事になら太平洋方面戦力の全てをかけて戦った。なのに我が国は、ガ島においても戊辰の負け組みを足らず足らずに投入しその殆どを死なせたが、その時戦艦大和もその他の兵力も国内で休息していた・・勝てるはずが無い・・目標に近づくはずが無い。
国家をどうするのか?国民をどうするのか?という目標に向って戦略を組み立て、その折々に戦術を配置する。という事を怠ってただひたすら権力欲に集中し、その場凌ぎのバタバタ劇に終始する我が国のリーダー達には、いい加減うんざりする。
敗戦後マッカーサーの「日本人は12歳の子供のレベルだ」発言に憤慨していたが、彼の読みは鋭かったのかも知れない。


31号平成20年4月24日

「親ばなれ・子ばなれ」

年度の変わり目にあたり、多くの卒業式・入学式に出席しました。我々の時代と違うのは、両親揃っての付き添いが多いと言う事でした。マスコミ的に言う「格差社会の底辺」にいるはずの、こんな田舎の親達が、子供の用事で仕事を休める環境にあるのです。世間が言う程、生活は苦しくないのではないでしょうか?
東京大学の入学式にも入学生の二倍弱の家族が詰めかけ来賓者の挨拶で「自立した個人を作るため親は子供を切り、子は親から離れて欲しい」との苦言が出たとか・・
「子供一人当たりの教育費が数千万円かかるので少子化になる」という理屈をよく聞くが、18歳にもなった人間に仕送りを続ければそれは何千万円もかかりますよね。しかし果たしてその環境が子供の為に本当になるのか?と言う事をもう一度考えねばならないのでは?と思えてなりません。
子供達よ稚心を棄てよ!親達よネコ可愛がりを恥じろ!・・真の教育の為に。


32号平成20年 端午の節句

「子供の日に想う」

毎年恒例で子供の日は家族サ-ビスで郡山カルチャーパークにでかける。入場無料と言うのが主な選定理由である。子供達には自由に遊ばせて私は芝生に転がり昼寝をする・・今年もまた唯一我が家族が一同に揃う時間を安く楽しまさせてもらった。
ハウマッチ?と聞かれても答えられないのだそうだが人間はとにかくお金を欲しがる。しかし「神田川」も「涙のリクエスト」も「シングルベット」も『昔の貧乏だった時代の方が幸せだったと思い出す』という切り口で一致する。人の幸せはきっとお金、物質の多寡とはリンクしないのだ。だとすれば泣き言を垂れずに現状を充実させようではないか?何十年も過ぎて思い出せば「現在」って涙が出るほど幸せだったと気付くのだろうから・・


33号平成20年 母の日

「母の日に想う」

最近の日本人は読解力が落ち、映画の字幕が理解できないと映画業界が困っていると言う。「次の字幕に変わるまでの時間に今出ている字幕を読んで理解する」という行為が間に合わないのだそうだ。
テレビでは「おバカキャラ」なる新ジャンルが流行ってきたようだ。なるほど面白い・・しかし日本人は無意識に無防備に有名人を真似る習性がある。国民がこの「おバカキャラ」を真似はじめたらこれはもう収拾が付かないのでは?字幕の件もテレビと無関係とは言い切れない。
視聴率とかウケを求めるばかりでなく「公共の電波」と言うものはもっと尊いものではないのか?国民の知的レベルを上げるという責務もあるのではないのか?
海外に居る息子に会いたくて字を練習し手紙を書いた野口英世の母が知ったら今の日本を嘆くだろう。公共の電波には「母の愛」的な深さが必要だ。


34号平成20年5月26日

「実は幼稚な文明」

先日視察した福岡県前原市の基本計画に「めん類のスープを残す人の割合を増やす数値目標」が示されていた。メタボ・生活習慣病の対策だそうだ。
佐賀県のリサイクル工場ではセブンイレブンの製造工場からの食品残渣と売れ残りを集めて豚の餌を製造していて、リサイクル・再利用・循環型システムの見本として注目されている。
でも、ちょっと待って下さい。「食べ物は残すな!」「食べ物を棄てるな!」と言われて育った私にとって、両者とも良い政策とは絶対に思えない。人類全体から観たら既に食糧難は始まっていると言うのにこのノンキさは何なのでしょうか?・・我々はこれらの「食べ物を有り難く思わない習慣」がいかに幼稚な文明なのかに気付かねばならない。


35号平成20年 芒種

「所属はどこ?」

アメリカでは大統領選挙の候補者選びが盛り上がっている。今朝辺りも民主党の候補が決まったと紙面に踊る。共和党の候補者が早々と決まったせいで片方の政党の露出度が際立った数ヶ月だった。
「初の女性候補」じゃなく「初の黒人候補」に決まった訳だがどっちにしてもニュースとして興味が沸いたし「黒人がトップになってもいいよな」と素直に感じる。しかし我々は日本人として、メディアから受け取るイメージとは別に彼らの政策にも注目しなければならない。
オバマ氏は「日米安保条約を解消し中国の指導的役割の元にアジアの枠組みを考える」と言いマケイン氏は「民主主義・法の支配・人権・言論の自由・宗教の自由。これらを比べてみて日本と中国のどちらをパートナーとするかは明らかである」と言っている。
国家と言う切り口で言えば、我々の所属は明らかに「日本」である。日本にとってどちらが大統領になるのがベターなのか?という視点を持たないでいると、我々は浮き草の様に流される意志のない国家に成り下がるだろう。


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